撲殺するにゃん♪
 
日常という時間をまったりゆったり過ごしている、起伏の激しい管理人が間違った方向につけている日記(謎
 



ちょっとシリアスになってみる日

私は自分のことをとても大人とは思えず、まだまだ子どもであると思う。
身体は大人、頭脳は子ども。その名も迷探偵陽華なものですよ。

大切な人を本当の意味で守るとは何か、どうすればいいのか。それが出来ないようではまだまだ子どもだと自負しています(もちろん人それぞれ)

例を挙げてみるのならば
人を愛するということ。愛と好きの違いとは何なのか。たまに昔を思い出して苦悩する時もあります
愛するとは上で述べたように、守りたい人を本当に守ることだと考えています。
守るとは何か、本人の意思を尊重するのか、それとも間違っているような事を無理強いしてまで修整する事なのか。
正直まったく判りません。

たとえば、愛する人が苦悩していて、本人が自殺を懇願している。その時その人が大切ならば間違っている行動を止めるだろうし、それが間違っているとも思えませんが。はたしてその守られる方は、それで本当に救われるのでしょうか。
守る事と守ったことによる自己満足、それはまったくの別物

話しを戻して具体的に例をあげるのなら。お金の問題がしっくりくるかもしれません。

大切な人(A)は借金まみれ、どんどん悪化していく毎日。かくゆう守るべき人(B)もそんなに裕福ではなく、毎日がやっと。
果たしてこの時、どうするべきなのか。
Bがお金を工面してAの借金をどうにか出来れば問題ないかもしれません。が、それが敵わない時はどうするべきなのでしょうか。

苦悩から逃げる為に死を望むのが間違っている事なのでしょうか。
死とは終わり。先をなくすことであり、未来を破棄する事であり間違っているとは思います。
が、果たして追い詰められた時、本当に苦悩する時にそれらから逃げようとするのは間違っているのでしょうか。

僅かな期間かもしれない、逆にずっと苦悩するのかもしれない。

さまざまな葛藤の中でさらに追い詰められ。


そんなAをBはどう対応するべきなのでしょうか。
苦悩から逃げることを許すのか。鞭打つように修整するのか。それとも支えとなるのか。
支えになるのならそれはいいかもしれません、しかし追い詰められたAを本当に支えられるのか。

この問いが子どもの私にはわかりません。

Aの立場、Bの立場

想像するのはたやすいかもしれません、しかしそれに直面して考えて初めて身になるのだと思います。

しかしその考えに後悔を覚えたが最後、ずっと取り付かれることになるでしょう。


今自殺が騒がれています、自殺、死の意味、そして周りができること、出来ない事。

私は考え続けます、そして苦悩し続けるかもしれません、それはきっと昔に後悔をしてしまったから。


っとまぁ苦悩と愛をこんな形であらわしてみる小説なんてどうでしょうか(ぇ



3月9日(金)20:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | ごく普通の日記 | 管理

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